日本の国歌「君が代」がヘブライ語で読める謎
日本語であるはずの「君が代」を、ヘブライ語で書かれたものと仮定して読むと「君が代」の歌詞には不思議とヘブライ語の響きがあります。
一見日本語で書かれた「君が代」の歌詞が、最初から最後まで一貫してヘブライ語の詩としても読める君が代をヘブライ語に翻訳した時の謎についてご紹介します。
後述する「君が代を「ヘブライ語」に翻訳するとどんな意味?」に繋がっていきますので、ぜひ参考にしてみてくださいね。
「君が代」の意味
「君が代」の意味についてご紹介します。君が代は古今和歌集「我君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」(読人知らず)から来ており、「君が代は 千代に八千代に さゞれ石の巌となりて 苔の生すまで(きみがよは ちよにやちよに さざれいしのいわおとなりて こけのむすまで)」となります。
- 君が代=現在の天皇の代、もしくは尊敬する人の代
- 千代に八千代に=永遠に
- さゞれ石の巌となりて=さゞれ石は小さな石を、巌は岩を意味し、強くて固い絆を指す
- 苔の生すまで=末永い歳月
君が代を「ヘブライ語」に翻訳するとどんな意味?
君が代を「ヘブライ語」に翻訳するとどんな意味になるでしょうか。
そもそもヘブライ語とは、アラビア半島を中心とする西アジアと北アフリカに分布するアフロ・アジア語族のうちセム語派に属する北西セム語のひとつで、へブル語とも呼ばれます。
君が代をこのヘブライ語に訳する理由は、後述する日ユ同祖論が関係しており、日本語とヘブライ語には数々の共通点があるという説があるからです。
日本語 | ヘブライ語 | ヘブライ語訳 |
君が代は | クム・ガ・ヨワ | 立ち上がり神をたたえよ |
千代に | チヨニ | シオンの民 |
八千代に | ヤ・チヨニ | 神の選民 |
さざれ石の | ササレー・イシィノ | 喜べ残された民よ、救われよ |
巌となりて | イワオト・ナリタ | 神の印(預言)は成就した |
苔のむすまで | コ(ル)カノ・ムーシュマッテ | 全地に語れ |
※シオンは、イスラエルのエルサレム地方にある歴史的地名のことで、シオンの民は、そこに住む人々を指します。
「君が代は」の語源はヘブライ語であり、「クンバヤハウェ」「クンバヤワ」と発音が訛り、「キミガヨワ」という日本語になったのではと考えられています。
「神よ、立ち上がり、来てください!」という祈りの言葉の意味になっています。
つまり「君が代」は、ヘブライ語で書かれた「信仰」の賛歌で、救いのメッセージが込められているというのが有力視されています。
日本語はヘブライ語と発音が似てるが「嘘」という意見も
日本語はヘブライ語と発音が似てるが「嘘」という意見もあります。
どちらかが後付けした言語であること、そして様々な研究が出来る環境にある昨今において公式に発表されていないことも理由とされます。
日本にはヘブライ語と類似した単語が3000語以上!
日本にはヘブライ語と類似した単語が3000語以上あるといわれています。
この章ではその一部の語をご紹介します。
一見日本語で書かれた「君が代」の歌詞が、最初から最後までヘブライ語の詩としても読めると言われています。
日本語とヘブライ語の共通単語・それぞれの意味
日本語とヘブライ語の共通単語・それぞれの意味をご紹介します。
日本語 | ヘブライ語 | ヘブライ語訳 |
侍 | シャムライ | 護衛者 |
鳥居 | トリイ | 門 |
困る | コマル | 困る |
座る | スワル | 休む |
欲しくなる | ホシュク | 欲する |
辛い | ツァラ | 災難 |
駄目 | タメ | 駄目 |
何時 | イツ | 何時 |
ありがとう | アリ・ガト | 私は幸運だ |
ごく一部ですので、参考までにご覧くださいね。
日本人=ユダヤ人?「日ユ同祖論」について
日本人=ユダヤ人?「日ユ同祖論」について様々な解釈や議論がなされる今日ですが、この章では、日ユ同祖論の元ともいえる3つの説と海外の反応について解説します。
- 君が代の歌詞は、日本語だけでなくヘブライ語でもそのままの発音で歌うことができます。そしてヘブライ語での意味は、むしろ日本語よりも明瞭でわかりやすく、ユダヤ民族の信仰告白が君が代の歌詞の中に込められています。
- 例えば、「君が代は千代に八千代に」という歌詞は、ヘブライ語では「クム・ガ・ヨワ チヨニ ヤ・チヨニ」と発音しますが、これは「立ち上がり神をたたえよ シオンの民 神の選民」という意味になります。シオンとは、イスラエルのエルサレム地方にある歴史的地名で、シオンの民や神の選民とは、そこに住むユダヤ人を指します。
- 君が代は古今和歌集に収録された「わが君は千代にやちよにさざれ石の巌となりて苔のむすまで」という歌から来ていますが、この歌は古代イスラエル人が日本を目指して船旅をする際に歌ったものだという説もあります。さざれ石は小さな石を、巌は岩を意味し、強くて固い絆を指すとされます。また、苔のむすまでという表現は、全地に語れという意味になります。このように、君が代には日本人とユダヤ人の共通する祖先や信仰を示唆する意味があると考えられています。これは日ユ同祖論と呼ばれる説で、日本人とユダヤ人は同じ起源を持つというものです。この説には様々な根拠や反論がありますが、確かなことは分かっていません。
「古代日本人はユダヤ人の先祖」という声も!日ユ道祖論3つの説
「古代日本人はユダヤ人の先祖」という声も!日ユ道祖論3つの説をご紹介します。
- 一つ目は、日本の国技である相撲がイスラエルの神事だという説です。ヘブライ人の族長であるヤコブ(別名:イスラエル)は「かかとをつかむ者=人を出し抜く者」という意味があります。そして旧約聖書にはヤコブと天使が相撲をした記述がありますが、ヤコブはその際に天使に名を訪ねましたが取り入ってはくれませんでした。ヘブライ語で彼の名に当たる語が「シュモー」であることから、ヤコブが天使とした取っ組み合いを「シュモー」というようになったようです。相撲では「はっけよい」という言葉を使いますが、ヘブライ語のはっけはヒカーといい「やっつける・打つ」を意味し、よいはヨヒを指して「私の神」を意味します。よってヒカーヨヒが「打つことは聖なること」と訳すことができます。
- 二つ目は、北海道の漁師民謡であるソーラン節がユダヤから伝わったという説です。ソーラン節にはヤーレンソーランという言葉が出てきますが、言葉の意味や由来が北海道民も分からないというのです。ヘブライ語でヤーレンは「喜び歌う」を、ソーランは「歌い手・独り=一人の歌い手」を意味します。曲中に出てくるチョイは「いざ進め!」で、ヤサエエンヤンサノは「真っ直ぐ目指す」、ドッコイショは「押す人」を意味します。古代イスラエル人が日本を目指して船旅をする際、天災に負けずに神のように力強く進んでいこうという意味で歌われたものだとされています。
- 三つ目は、日本の三大祭りである祇園祭がユダヤから伝わったという説です。毎年7月1日~7月31日に京都市で行われる祇園祭は、平安時代に病気や厄払いを祈願して行われていた祇園御霊会が由来とされています。しかし、イスラエルのエルサレム地方にあるシオンという地域で行われていたシオン祭も同時期に行われ、主に旧約聖書に出てくるノア一家が乗った船が大洪水から生き抜いたことをお祝いしていました。その中で、祇園祭の同じ目的の疫病退散の儀式も行われていたのです。
日本の反応と海外の反応
日本の反応と海外の反応をご紹介します。
【日本の反応】
- 「仮に祖先が一緒だとしても、反応もなにもない。」
- 「歴史的に知っておいても良いかもしれないけど、騒ぐほどのものでもない。」
- 「学校で正式に習うのだとしたら信じるかな。」
- 「日本人には他者に学ぶという向上する信念がある。ユダヤ人もノーベル賞を多数獲得しているから、学ぶべき対象だと考えてくれているのかもね。」
- 「日本人は賢い人たちだから嘘にまみれた最もらしい理屈に騙されたりしないのさ。」
- 「ヨーロッパの人々、他民族の人々はなぜユダヤ人を憎むのかを自分たちでも理解できていない。日本人はそんな人たちとは違うんだよ。」
ユダヤ系日本人
ユダヤ系日本人とは、ユダヤ人を家系起源に持つ日本人のことやユダヤ教に改宗した人のことをいい、有名人も多くいます。その中でも一部ご紹介します。
- 石角完爾(いしずみかんじ)…日本の国際弁護士で、ウルトラオーソドックス派に所属する日系ユダヤ人です。京都大学在学中に国家公務員上級試験(現:国家Ⅰ種試験)と司法試験に合格しています。
- 剣太郎セガール(けんたろうせがーる)…日本とアメリカで活動する俳優で、父親にハリウッド映画俳優のスティーヴン・セガールを持ちます。父親がユダヤ系とアイルランド系の母親(彼の祖母)を持つことから、二世となります。
- 東郷和彦(とうごうかずひこ)…日本の元外交官で、祖父に元外務大臣の東郷茂徳がいます。母親が東郷いせといい、その母親(彼の祖母)がユダヤ系インド人です。
君が代とユダヤとの関係に今後も注目!
君が代とユダヤとの関係に今後も注目です。現在様々な角度から研究が進められている問題でもあり、展開が気になるところでもありますね。染色体研究では、ユダヤ人に見られる染色体が日本人にはなかったことから日ユ同祖論はないとされています。
君が代をヘブライ語に翻訳した時の驚愕の意味、まとめ
- 日本語とヘブライ語の共通単語が多い
- 日本語の中に、沢山ヘブライ語が元になってる言葉があることから日ユ同祖論も唱えられている。
- 日本の国歌「君が代」の意味は、君が代(天皇という意味だけでなく日本の未来)は、千年も八千年も、細石が大きな岩になってそれにさらに苔が生えるほどまで、長く長くずっと続きますように、との願いが込められていると言われている。