奥の細道・平泉は『敬語』も含まれる
「笠打ち敷きて、時のうつるまで泪を落し侍りぬ」と歌のあとにありますが、「侍りぬ」を品詞分解すると「侍り」と助動詞の「ぬ」になります。この「侍り」の読み方は「はべり」で現代語の「です・ます」にあたる丁寧語です。
今回の場合は「侍り」は「(涙を)落とす」に付き、芭蕉が平泉の城跡を訪れ、自然の雄大さや世の無常さに思いを馳せ、泣いたことを読者や弟子に丁寧に伝えています。奥の細道の敬語・「侍り」は学校の試験の問題などでも良く出題されます。
奥の細道『平泉』を読む前に入れておきたい知識
平泉は奥州藤原氏の衰退に基づき書かれています。その史実を知っておくと、より深く平泉を楽しめるでしょう。その歴史的背景についてご紹介します。
平安時代において奥州は金を出土し馬や兵力も豊かな独立国でした。藤原清衡、基衡、秀衡の三代の時代は非常に恵まれており、その栄華はピークでした。
しかし、源頼朝に対抗した源義経が藤原秀衡を頼り、逃亡してきたことから国の運命は変わります。義経を子供のように思っていた秀衡は義経をかくまいますが、秀衡の死後は義経は邪魔な存在だったため、秀衡嫡男の泰衡により討伐されます。
その後、奥州は源頼朝に攻め入れられ滅びます。泰衡は逃亡しますが、その途中源頼朝側に取り入ろうとした部下の裏切りにあい殺害されてしまいます。このように豊かであった奥州藤原氏は滅亡しました。
奥の細道『平泉』の意味を知って理解を深めよう
「夏草や」ではじまる俳句が有名な平泉ですが、その歌がどのようにして生まれたのか、松尾芭蕉は平泉へ行き何を感じたのか知っておくと、より一層平泉が理解できます。
平泉を今後読む際はぜひ藤原氏のことも頭に入れて読んでみてください。また奥の細道のほかの章も書かれた背景を知るとますます楽しめます。ぜひ色々な知識を取り入れながら、奥の細道を楽しんでください。
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