番長
「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」
プロ野球の野村克也・元監督の「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」という言葉は名言として知られています。「勝つときにはどうして勝ったのか思い当たらない不思議な勝ちがあるが、負けるときは(不思議な点がないほど)負けに繋がる必然的な要因がある」という意味です。
実はこの言葉は野村監督のオリジナルではなく、江戸時代の大名である松浦静山(まつうらせいざん)が語った名言です。本記事では「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」という名言を深く掘り下げていきます。
野村監督の座右の銘
「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」は、野村監督の座右の銘としてよく知られていました。
野村監督が13連敗のあとに1勝した試合直後のインタビューでこの言葉が語られますが、この1勝は相手のエラーで勝利点を得た試合でした。
運で勝利が転がり込んでくる「不思議な勝ち」はありますが、「不思議な負け」はなく負けた試合には必ず敗因があります。その敗因に学ぶことで次回の試合を成功に導くことができます。
「……だから、勝ったときは謙虚な気持ちを忘れてはいけないし、負けたときはつねに“なぜ“と敗因を問い、反省し、対策を練るべきなのだ。」と野村監督は著書『ノムラの教えー弱者の戦略99の名言』の中で述べています。
勝ち負けで一喜一憂する必要はなく、その試合から何を学びとれるかが重要であると教えてくれる名言です。
原典は松浦静山
「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」は、江戸時代を生きた大名で剣術家、文学者でもあった松浦静山が残した言葉です。
松浦静山は江戸時代後期の平戸藩主。大名でありながら武道をも極めていました。剣術では「田宮流・新陰術・心形刀流」の免許を皆伝しており、ほかにも弓道・柔術・馬術・砲術を修練していた人物です。
松浦静山の剣術書『剣談』のなかに「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」の一文が収められています。松浦静山は剣術について「道理があった技を出していれば本人が自覚しなくても勝つことができる。負けたときは、道理から外れた技を出したことが敗因であり、理由は反省すれば分かるものである」と考えており、負けには不思議な理由はないと述べられています。
松浦静山は剣術や武術を極めただけでなく、大名としても有能な人物でした。わずか16歳で平戸藩主の座につきましたが、そのころの平戸藩は大変な財政難を抱えていました。松浦静山は藩主に就いてから2年後に「平戸溝財政再建計画」を発表し、さまざまな行政改革を断行。倹約を徹底させ、市場拡大を行い財政を立て直すことに成功したといわれます。
現在でも野村監督のように、松浦静山のこの言葉を座右の銘としている人は少なくありません。
「勝ちに不思議の勝ちあり」
野村監督は「負け試合だとあきらめていたのに、相手が勝手にエラーしたなどの理由で勝利する」というような、勝ったことが不思議に思える勝利もあったといいます。いつもと変わらないプレイでも、相手のミスによって勝てることもあります。その運を導くのは、自分の努力次第なのかもしれません。
勝利をつかみ取りたいなら、環境が変わっても左右されないほどの技術を身につけることが大切であり、そのためには日頃から学びや努力を続けることが必要でしょう。なぜ勝利したのか、その分析も忘れてはいけません。
「負けに不思議の負けなし」
失敗には必ず原因があり、「運が悪かったから」を理由にただ失敗を悔やんでいては次も同じ失敗を繰り返してしまいます。
何を失敗と見なすのかは人それぞれですが、「負けに不思議の負けなし」からは「失敗から原因を分析し、二度と同じ失敗を繰り返さないように」というメッセージが伝わってきます。
まとめ
「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」は、江戸時代から語り継がれている名言です。勝ち負けには日頃の学びや努力の成果が表れます。野村監督はこの言葉を座右の銘とすることで、「まぐれや運で勝つことはあっても、負けるときは自分に何らかの原因があると考えよ」と自分自身を叱咤激励していたのかもしれません。
試合の勝敗だけではなく、日常生活においても同じ失敗を繰り返さず日々成長していくために、私たちも頭の片隅にいれておきたい深い名言の一つです。
番長
ここまで読んでくれてありがとう! そして……
素晴らしい名言を教えてくれてありがとうノムさん!! 合掌
押忍!
「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」
これは深い名言だ。「負けに不思議の負けなし」ということは、すべての敗北には理由があるということ。敗北した理由を反省して、改善しようとするから、人間も会社も強くなるのだ。