黄泉戸喫 (よもつへぐい)とは?
黄泉戸喫(よもつへぐい)とは日本最古の歴史書である「古事記」に記された言葉です。黄泉戸喫を一文字ずつ解き明かすと、黄泉の国の釜戸で煮炊きされた食べ物を口にすること(喫)です。このことからよもつへぐいとは黄泉の国の食べ物を口にすることを指します。
萌え袖ちゃん
あの世の食べ物を食べる、なんて普通に暮らしてたら使わないよね?
何でよもつへぐい、なんて言葉が生まれたのかしら。
黄泉戸喫 (よもつへぐい)が生まれた背景
あの世の食べ物を口にするという発想が何故生まれたのか、それは二つの理由があります。
一つ目は昔の日本の埋葬方法です。はるか昔、黄泉の国は地下深くにあると考えられていました。そういった考えから墓を作るときは穴を深く掘り、死者をそこに埋めたのです。その時、安らかに眠れるように食べ物と調理道具を一緒に埋めていました。埋められた食べ物や調理道具は死者の物で、その時点で黄泉の国の物となっているのです。「あの世の食べ物」という発想はここからきていると言えます。
二つ目は共食信仰です。これは同じものを食べるのは仲間である、という考え方のことです。「同じ釜の飯を食う」ということわざもありますよね。
萌え袖ちゃん
あれれ?
同じ物を食べることがよもつへぐいにどう関係があるの?
よもつへぐいについてより深い話をしていくと、共食信仰は大いに関係があります。
黄泉戸喫 (よもつへぐい)を行うとどうなるの?
よもつへぐいを行うと黄泉の国から私達が生きている世界へ帰れなくなります。何故ならその世界の食べ物を食べてしまうと、その世界の住人になってしまうからです。
萌え袖ちゃん
ええ!どういうこと?
これには上の記事でお話しした、共食信仰が関わってきます。昔の日本では食べ物を得ることがとても困難でした。そのため協力し合って漁で食べ物を獲得したり、大きな畑や田んぼを作る必要があったのです。苦労して得た食べ物を口にするには、相応の貢献が必要でした。昔の日本では同じ物を一緒に食べるというのは、仲間として協力し合うことをお互いに約束しているのです。以上をまとめると黄泉の国のものを食べることは、黄泉の国の住人として協力し合うという約束を結んだことになります。
萌え袖ちゃん
食べることでそこの住人になることを約束するのね。
死者になったら生者には戻れないものね。
古事記から学ぶ「黄泉戸喫 (よもつへぐい)」
萌え袖ちゃん
ねえねえ、よもつへぐいは古事記のどんな話から生まれたの?
黄泉戸喫(よもつへぐい)は「古事記」のイザナミとイザナギの話から生まれた言葉です。黄泉戸喫(よもつへぐい)が記されたお話について要約してご紹介します。
イザナミとイザナギという夫婦神がいました。二人は仲良く過ごしていましたが、ある日イザナミが火の神カグツチを出産して死んでしまいました。イザナギは死んだイザナミのことが忘れられずに黄泉の国へと迎えにいきます。「まだあなたとの国づくりは終わっていない」とイザナギはイザナミに元の世界へ一緒に帰ろうと言います。しかしイザナミは「どうしてもっと早く来てくれなかったのですか。私は黄泉の国の食べ物を食べてしまいました。もうあなたのいる世界へ帰れません」と断るのです。
そう言いながらもイザナミの本心は夫と共に現世に帰りたい。諦められなかったイザナミは提案します。「私が帰れるかどうか黄泉の国の住人と話し合ってきます。その間、決して覗き見をしないでください」イザナミにそう言われましたが、イザナギは気になって覗いてしまいました。
するとその目に映ったのは、腐って蛆虫が湧きゴロゴロとうごめいているイザナミの姿でした。イザナギは驚いて逃げ出します。イザナミは逃げる夫を追いかけますが、追いつけずに「地上の人間を毎日千人殺す」と言い放ちます。「ならば私は人間が毎日千五百人生まれるようにしよう」とイザナギは返しました。
このお話で初めてあの世の食べ物を口にするという概念と、あの世の食べ物を口にすると現世へ帰れないという概念が文字で語られました。要約文では記しませんでしたが、古事記のこの話では実際に黄泉戸喫と言う言葉が出ています。
萌え袖ちゃん
うわあ。驚いたのはわかるけど、イザナミ様かわいそう。このお話は、死んだ人は帰らないっていうことなの?
黄泉戸喫 (よもつへぐい)はギリシア神話にも見られる?
ここまでの説明で黄泉戸喫は日本独自のものだと思われる方もいるでしょう。
しかし実は海外にもよく似た神話が存在しています。
萌え袖ちゃん
海外にもあるの?なになにどんな話?
ギリシア神話の「ベルセポネの冥界下り」と言う話です。
要約すると、この話の主人公ベルセポネは母デメテルと暮らしていました。しかし冥界の神ハデスがベルセポネに恋をしたのです。ハデスはベルセポネを無理やり冥界へと連れ去ってしまいます。母デメテルの働きかけにより、ベルセポネは無事に帰ることができましたが一年のうち四ヶ月を冥界で過ごさなければならなくなりました。何故ならベルセポネは元の世界へ帰れると安心した瞬間に、冥界にあった十二粒のザクロを四粒、緩んだ口元から食べさせられてしまったのです。
海外にも似た話があるのは驚きです。文化が違っても死者の国に関する考え方は似ているのかもしれません。
萌え袖ちゃん
海外の黄泉戸喫はザクロが出てくるんだね。それに、古事記とは違ってちゃんと元の世界に帰れて良かった!
黄泉戸喫 (よもつへぐい)を治す方法は?
結論から述べますと、黄泉戸喫を自力で治す方法はありません。自力で、と付けたのは他者の協力が得られれば治せる可能性があるからです。古事記のイザナミの言葉を思い出してみましょう。イザナミは「帰れるかどうか黄泉の国の住人と話し合ってくる」と言いました。これは住人から「元の世界に帰ってもいいよ」と許しを得られれば帰ることが出来るともとれます。
もう一つ、ギリシア神話で注目したい点があります。治すとは違う話になりますが、摂取した食べ物が少量だった場合です。ギリシア神話では、日本の古事記と違って条件付きですが自分の世界へ帰ることが叶っています。十二粒あるうちの四粒を食べたせいで、一年のうちの四ヶ月を冥界で過ごさなければいけませんが、残りの八ヶ月は自分の世界で過ごすことが出来ています。これは少量であれば、条件付きで元の世界へと帰れることを示唆しているのでは、と考察出来ます。
萌え袖ちゃん
基本、食べちゃうとダメなのね。突然見知らぬ場所にいたら、その辺のものを食べないように気を付けないと。
黄泉戸喫 (よもつへぐい)を題材にした作品
よもつへぐい、という言葉を耳にする機会はあまりありません。ですが、実は身近によもつへぐいを題材にした作品があります。特にこの言葉を知るきっかけとして多いのが「千と千尋の神隠し」です。他にもよもつへぐいを扱っているアニメやゲームがあるのでご紹介します!
千と千尋の神隠し(スタジオジブリ)
日本だけにとどまらず、海外でも高い評価を得ている有名な映画がよもつへぐいを題材にしています。千と千尋の神隠しは、主人公の千尋とその両親がトンネルをくぐり異世界へと迷い込む場面から物語が始まります。この時、迷い込んだ世界の屋台で両親は貪り食い、ブタになってしまいました。その世界の食べ物を口にしたことで、その世界の住人になったのです。対して千尋は何も食べず、ブタにならずにすみました。しかしその代わりに、どんどん体が透けていきます。間一髪、白がくれたおにぎりのおかげで体が完全に透明になるのを防ぐことができました。よもつへぐいをしてその世界に近づいた結果、助かったのです。通常、よもつへぐいをすると元の世界へ帰れなくなるとお話しました。しかし千と千尋の神隠しは本人の努力と他者の手助けにより無事両親と共に現世へ帰ることが出来ています。よもつへぐいをして助かった例ですね。
仮面ライダー鎧武「ヨモツへグリアームズ」
特撮ドラマ「仮面ライダー鎧武」は数々の神話の要素を取り入れており、その中には「よもつへぐい」に関するものも含まれています。鎧武ではヘルヘイムの森と呼ばれる黄泉の国に相当する異世界が存在しています。仮面ライダーたちはヘルヘイムの果物を変身ベルトにセットして変身します。このヘルヘイムの果物ですが、普通の人が口にすると怪物になって人間に戻れなくなってしまいます。また敵に「ヨモツへグリアームズ」という名前のライダーが存在します。これらのことからよもつへぐいを題材にしていることがわかります。
ホラーゲーム「SIREN」
ホラーゲーム「SIREN」は異世界に取り込まれた村が舞台になっています。舞台となっている村では赤い雨が降り続いており、その雨の正体は異界の神の血です。これを飲んだりして体内に取り込んでしまうと、異界の住人となってしまいます。また登場人物の一人が、赤い水を飲もうとした教え子に「黄泉戸喫くらい知っているだろう?」と言って止めています。この作品では赤い水を飲んだ、よもつへぐいをしてしまった人間は元の世界へ帰ることが出来ません。古事記のよもつへぐいを忠実になぞっているゲームです。
黄泉戸喫 (よもつへぐい)のまとめ
- 黄泉戸喫とは、黄泉の国の食べ物を食べること。これを行ってしまうと元の世界へ帰れなくなる。
- 黄泉戸喫という言葉が初めて出現したのは古事記。ギリシア神話にも似た話が存在する。
- 黄泉戸喫をモチーフにした作品が世に出ている。「千と千尋の神隠し」が有名。