メサイアコンプレックスの問題点とは
金丸さん
善意の行動は、故意に問題を作り出さない限り批判すべき問題点が浮き彫りになることはありません。たとえ善行が自分の満足度を満たすためのものであっても、現実に援助を受けて助けられた人にとっては感謝すべき行為と映るでしょう。
表面的に良い行いと見られやすいメサイアコンプレックスの、隠れた問題点に焦点を絞ってみましょう。
表面的には気がつきにくい
メサイアコンプレックスの言動は穏やかで善意に満ちていることが多く、表面的には気がつきにくいタイプです。一見人を助ける行為は、目的が何であれ現実に助けられた人にとってはありがたい話に思えるでしょう。しかし、自分の満足を満たすための自分本位の善行は、必ずしも人助けにならないことが往々にしてあります。
たとえば、いつも空腹で死にそうな人がいたとします。その人を助けるためにパンを差し出す人もいれば、魚の釣り方と必要な道具を差し出す人もいるでしょう。お腹がすいている人のためになる手助けは、一時しのぎにパンを差し出したとしても、今後空腹にならないように魚の釣り方と必要な道具を提供するのがベストと考えられます。
メサイアコンプレックスは、自分が優越感と満足度を得たいためにパンを与え続けるタイプです。このことは、必ずしも人のためになる行為とはいえません。援助を受けた人は楽をしてお腹を満たせるため、自活の意欲をそがれてしまう可能性があります。
共存関係を構築しようとする
メンヘラちゃん
金丸さんは、私がいないとダメなんだから、、
私が助けてあげないと、
メサイアコンプレックスの人は、困っている人に手助けをしている自分に満足するタイプです。そのため、いつも自分を頼ってくる人を側に置き、優位に立てる相手と精神的に共存できる関係を築こうとします。助けを受ける人も、優しい言葉に癒されいつでも助けてもらえるという安心感で依存心が強くなります。
お互いがお互いを必要として、上手く共存している間はまだよいといえるでしょう。しかし、上下関係が熾烈を極めたり価値観が違ってきたりすると、お互いの距離を離すのにかなりの労力が必要となります。
金丸さん
↑のメンヘラちゃんの発言なんか典型的なメサイアコンプレックスの人のセリフだね。
僕を助けていると思いこむことで、自分の心にある劣等感から目をそらそうとしているんだ。
そういう意味では、メサイアコンプレックスは潜在的なイネイブラー気質とも言えるね。
フロイト先生
おぬし、本格的に心理学を学んでみてはどうじゃ?
センスあるぞい。
相手と共倒れになる危険性がある
人に必要とされることに存在意義を感じるタイプのメサイアコンプレックスは、自己犠牲を払ってまでも人に尽くそうとすることがあります。たとえば、震災で困っている人のためにボランテイァに集中した結果、仕事が中途半端になり職を辞める結果になるなどです。
被災者側も自己犠牲を払ってまで尽くしてくれる人に、感謝はしても心から喜べない心情があります。どちらも純粋に幸せを感じることができなくなる危険性をはらんでいるといえるでしょう。
メサイアコンプレックスのまとめ
善意の心を持つ日本人は多いのですが、実際に行動できるかどうかは手助けする側の時間的、経済的余裕によっても変わってきます。通常は自分が人に迷惑を掛けない環境を整えて、余裕がある場合にのみ手助けしようと考えます。
自己を犠牲にしてまで感謝の言葉を求めたり人の手助けに走り回ったりする人は、メサイアコンプレックスの疑いがあります。その裏には、強迫観念や自己否定が潜んでいることもあるようです。
メサイアコンプレックスは、悪意なき偽善者ともいえるでしょう。人のために力を貸すことは、決して悪いことではありません。しかし、人助けが趣味と公言する人は、目的が自分を満足させるためだけになっていないか振り返ってみる必要があるでしょう。
情熱系社員
皆さーん! ここまで読んでくれてありがとう。メサイアコンプレックスのこと理解できましたね。よーく考えたら私の趣味は人助けじゃなくて「仕事」でした。情熱をかけて取り組んでいきます!!
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一見、メサイアコンプレックスの人は善人に見えるんだけど、心の奥底に劣等感を抱えた人間というのはやはりどこか歪なんだよね。