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行ってはいけない村「犬鳴村(犬鳴峠)」の伝説がヤバすぎる!場所や過去の事件をまとめました

行ってはいけない村「犬鳴村(犬鳴峠)」の伝説がヤバすぎる!場所や過去の事件をまとめました

最凶の心霊スポットとして知られる犬鳴峠の向こうの犬鳴村。
福岡県の宮若市と久山町の間にまたがるトンネルの向こうにあると言われるその村に入った者は問答無用で惨殺されると言います。
そんな身の毛もよだつ恐ろしい噂をもっている犬鳴村についてご紹介します。

行ってはいけない村「犬鳴村(犬鳴峠)」とは?

犬鳴村(いぬなりむら)は、福岡県宮若市と久山町との境にある犬鳴峠のトンネルの先にあります。
そのトンネルは新しく作られた犬鳴トンネルと呼び分けるために旧犬鳴トンネルと呼ばれていますが、そこが心霊スポットとして有名な犬鳴峠です。

旧犬鳴トンネルをくぐった先の犬鳴村が都市伝説で有名になったのは、新犬鳴トンネルが通った後の、1975年以降です。
行ってはいけない村として知られる犬鳴村について、行ってきた人たちの体験談も併せてご紹介します。

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犬鳴村は地図から消された?

犬鳴村は地図に載っていない村です。国の記録にも残っていないという謎に包まれた村ですが、旧犬鳴トンネルから細い脇道を通って抜けた先に、犬鳴村があるとされています。
それでは、なぜ実存する村が地図から消えてしまったのでしょうか。

実は、1989年まで日本地図には「犬鳴村」は、行政区分としてありましたが、隣の自治体に吸収合併され、犬鳴村という名称はなくなってしまいました。
つまり、実在した犬鳴村は都市伝説で語られている場所には存在しないということです。犬鳴村が地図に乗っていないことは本当ですが、それは地図が間違っているのではなく、都市伝説で語られている場所はもともと犬鳴村がなかった場所だからなのです。

実在した旧犬鳴村の集落は、現在犬鳴ダムの底に沈んでいます。実際は合併とダム建設によって犬鳴村は無くなってしまったのですが、「地図から削除された村」という情報が拡散されていき、幻の村として噂に拍車がかかっていった模様です。

ここからは、犬鳴村の都市伝説がささやかれている場所を便宜的に「犬鳴村」として、その所在地や都市伝説についてご紹介していきます。

犬鳴村の場所は?

犬鳴村の場所は、福岡県の宮若市と糟屋郡久山町の間に横たわる犬鳴峠の近くです。しかし犬鳴村につながる旧犬鳴トンネルは現在通ることが出来なくなっており、トンネルの先にあるとされる犬鳴村に行くことはできません。

旧犬鳴トンネルは旧日本軍が作ったという説がひそかにささやかれています。第二次世界大戦が激しくなり、犬鳴峠から福岡に直通させる軍用通路として「旧犬鳴トンネル」が開通されたという内容です。
地元住民にも内密に進められていた計画であり、山の奥深くで作業が進められていたので、その作業現場を見た人は、関係者以外にいなかったと伝えられています。旧犬鳴トンネルが完成したのは1949年ですが、軍用通路であったという記録はなにも残されていません。
犬鳴村伝説同様、謎に包まれた話となっています。

「犬鳴村」の危ない都市伝説

車に乗った骸骨

犬鳴村の危ない都市伝説

都市伝説で語られている犬鳴村には背筋が凍るような体験談が流布しており、ネット上での噂が絶えません。
現在は犬鳴村に通じているとされる旧犬鳴トンネルも封鎖され、事故が多発している地域でもあることから、命知らず以外は行ってはいけない村となっています。

そんな場所に実際に行ってきた人たちが話す、犬鳴村に関する怖ろしい都市伝説をご紹介します。

日本国憲法が通じない村

放置された家具
Photo bygeralt

日本国憲法が通じない村

実際に行ってきた人の話によると、犬鳴村に続く道筋に「この先、日本国憲法は通用せず」という立て看板を見かけるそうです。日本国憲法が通じないということは、治外法権を意味しています。つまり、この先でどんな事件や犯罪が起きようと、決して警察が介入できないということです。

広場にはセダンの残骸

廃屋と廃車
Photo byEmslichter

広場にはセダンの残骸

犬鳴村の広場で白いセダンの残骸を見かけたという話も多く語られています。
ネット上の噂によると、島根県から訪れたカップルが興味本位で犬鳴村に入ってしまい、鎌やクワをもった村人たちにセダンから引きずり降ろされて殺されたという事件が、ネット上でまことしやかに語り継がれています。
犬鳴村に残された白いセダンのナンバーが島根ナンバーであることから、このような都市伝説が生まれたのだと推測されます。

通信機器は圏外になる

携帯

通信機器は圏外になる

山奥の犬鳴村に行ってきた人たちは、犬鳴村付近で電波の不調を体験したと言います。犬鳴峠付近では外の人に連絡する手段は閉ざされ、もし村人たちに襲われるようなことがあっても、携帯は使い物になりません。公衆電話も無いため、自力で脱出するほかなくなります。

激しい迫害を受けていた村

森の中の廃墟

激しい迫害を受けていた村

犬鳴村は江戸時代から一般社会から隔離され、迫害された人々が集められた村だと伝えられています。また、疫病が流行した時期に罹患者たちを追いやっていた場所という話もあり、どちらにせよ村人たちは隔絶された村社会で、閉鎖的な村生活を築いていったそうです。
そのため、迫害の体験を子々孫々まで受け継ぎ、外の人間に対する恨み辛みを今でも残していると噂されています。

都市伝説「犬鳴村」で起こった事件とは?

信号

都市伝説「犬鳴村」で起こった事件とは?

犬鳴村に関するほとんどの情報はネット上を駆け巡る都市伝説ですが、それらの都市伝説がささやかれ始めた背景には、ある凄惨なリンチ事件の存在があります。
犬鳴村が心霊スポットして有名になってしまった発端「犬鳴峠リンチ焼殺事件」の概要をご紹介します。

当時20歳だった被害者のAさんは、地元の工業高校に入学し、卒業後はスチール製造工場に就職していました。10万円の給料のうち、7万円を母親にわたす、親孝行で心優しい人柄だったそうです。内気でおとなしく、軽度の障害はあったものの、仕事熱心で働き者だったと伝えられています。

1988年12月7日の夕方、Aさんが仕事から家に帰宅する途中のことです。車に乗っていた彼は、たまたま信号が赤になり車を停めたところ、知り合いだった当時19歳だった少年を含む5人の男性に絡まれました。
19歳の少年は、彼女を送るために格好がつかないから、と言ってAさんの車をよこせと迫りましたが、Aさんは断ったそうです。Aさんはそのまま青信号になったところで走り出し、少年たちから逃げ出しましたが、再び赤信号に捕まってしまいます。するとAさんは追いかけてきた少年ら5人に袋叩きにされ、手足を縛られて、トランクに詰められてしまいました。
少年らは、Aさんを苅田港に蹴り落そうとしましたが、暴行を必死に耐えながら、Aさんは最後の力をふりしぼり、フェンスに捕まり続けました。少年らの中には主犯の少年をいさめる声もあったと言いますが、犯行が発覚するのを恐れた19歳の少年は「自分たちは共犯だ」と仲間を脅してAさんを殺害することに決めたのです。

遺体が浮き上がってくるのを恐れた少年たちは、旧犬鳴トンネルまでAさんを連れていき、ガソリンを頭からかぶせました。絶叫したAさんは少年らがひるんだ隙に逃げ出し、旧犬山トンネルを走り抜けて、雑木林に逃げ込みました。
少年らはAさんに「なにもしないから出てこい」と呼びかけました。Aさんは彼らの言葉を信じたのか、少年らのまえに姿を出しました。

こうしてAさんは何度も暴行を受けました。最後、少年らはAさんの口を衣服で封じ、ガソリンをかけて、火を放ったと言います。もがき苦しみながら、焼かれていく体に狂い叫び、Aさんは旧犬山トンネル入口まで逃げ出すも、無念なことに、そこで力尽きてしまいました。

Aさんの死因は、焼死ではなく失血死でした。死ぬ直前まで、Aさんは地獄のような仕打ちを受けて亡くなってしまったのです。
これが、旧犬鳴トンネルで起きたリンチ事件の全貌です。あまりに衝撃的な事件だったため、新聞にも取り上げられ、話に尾ひれが付いて犬鳴村の都市伝説が生まれたのだと考えられます。

犬鳴村は実在していた村?

実在した犬鳴村の正式な名前は「犬鳴谷村」と言います。明治22年の町村制度施行によって、近隣の村と合併して「吉川村」になりました。
現在の宮若市の犬鳴ダムに「犬鳴谷村」と呼ばれる集落がありましたが、ダムの底に沈み、今では地図からも削除されています。

犬鳴村(犬鳴峠)の伝説のまとめ

  • 犬鳴村が心霊スポットとして有名になったのは、実際にあった事件が元で広まったと言われている
  • 犬鳴村の都市伝説のほとんどは真偽は謎に包まれているが、周辺では事故が多発している
  • 犬鳴村は「犬鳴谷村」として実在していたが、犬鳴ダムの底に沈んでしまった

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