「泣いて馬謖を斬る」の意味と使い方
若手社員
課長、自分に任せてください!実戦経験は全っ然ないけど、マニュアルはバッチリ頭に入ってるんでひとりでも大丈夫っす!
課長
無茶言うな!もし何かあったら、わしは泣きながらお前を斬らなきゃならなくなるんだぞ。お前は馬謖ほど優秀じゃないが、わしにとって大事な部下だってことを忘れるな!
「泣いて馬謖を斬る」(ないてばしょくをきる)とは、「規律を守るためには、たとえ愛するものであっても私情を捨てて厳しく処罰する」という意味の故事成語です。
期待し目をかけていた有能な部下が、手柄を焦るあまりスタンドプレーに走って大失敗し、会社に多大な損害を与えてしまった。できることなら今まで通り自分の部署で働いてほしいが、このままでは他の社員に示しがつかない。残念だが解雇するしかない……そんなとき、上司は「泣いて馬謖を斬る」という言葉を思い出すかもしれません。
自分にとって大切な人を、組織の秩序のために斬らなければならないのはとても辛いことです。それでも、あえて涙を呑んで処分を下す――それが「泣いて馬謖を斬る」ということです。
課長
斬る方だってつらいんだからな!!
「泣いて馬謖を斬る」の語源となった出来事
「泣いて馬謖を斬る」は、小説やマンガ、ゲームの題材として根強い人気を持つ中国の物語『三国志』の「街亭(がいてい)の戦い」というエピソードが題材となっています。
名場面が目白押しの三国志の中でも、とくに切なく、印象深いシーンです。
馬謖について
馬謖(ばしょく)は、後漢~三国時代の中国の武将です。当時中国は、魏(ぎ)呉(ご)蜀(しょく)という3つの国に分かれており、馬謖はそのうちのひとつである蜀に仕えていました。
馬謖の上司には、天才軍師として名高い諸葛亮(しょかつりょう)がいます。理論家で才気煥発な馬謖は諸葛亮に高く評価されていましたが、蜀の皇帝・劉備(りゅうび)は臨終の間際に「馬謖を重用するな。あいつは口先だけの男だ」と諸葛亮に言い残すほど信用していませんでした。
馬謖と街亭の戦い
街亭とは、宿敵である魏との戦において最も重要視されていた地です。諸葛亮は、周囲の反対を振り切って愛弟子の馬謖を指揮官に抜擢し、街亭を守り抜くよう命じました。
諸葛亮は馬謖に「街に布陣するように。くれぐれも山には登るな」と命じていましたが、馬謖はそれを無視。副将・王平の再三の警告も聞き入れず、山の上に陣を敷いてしまいます。現場経験が浅いにもかかわらず、自分は兵法に明るいという驕りがあったためです。
街亭に到着した魏軍は、諸葛亮や王平が危惧した通り山を包囲し、水の補給路を断ってしまいました。馬謖が布陣した山は川から遠く、当然兵士たちは渇きに苦しむことになります。魏軍は兵士の士気が下がったころを見計らって猛攻撃をしかけ、蜀軍は多くの犠牲を払い撤退を余儀なくされたのでした。
これが、馬謖が斬られるきっかけとなった「街亭の戦い」です。228年のことでした。
正史と演義、諸葛亮が泣いた意味の違い
三国志には、歴史書である「正史」と、その正史を下地に作られた「三国志演義」が存在します。三国志演義はエンターテンメント小説なので、エピソードを誇張したり捏造したりしていますが、この「泣いて馬謖を斬る」も馬謖を斬る際諸葛亮が涙を流した理由が違います。
先ほど述べたように、蜀の皇帝・劉備は馬謖を信用していませんでした。三国志演義の諸葛亮は、劉備から「重用するな」と忠告されていたにもかかわらず馬謖を起用し、結果蜀を危機に陥れた自分の人を見る目のなさを悔やんで泣きました。
対して正史では、可愛がっていた馬謖を失う悲しみ、馬謖への哀れみから涙を流したようです。
若手社員
「泣いて馬謖を斬る」の類語としては、
・心を鬼にする
・断腸の思い
・情より理を優先させる などが挙げられますよ!