文盲の読み方や意味は?
文盲は「もんもう」と読み、「文字を読むこと・書くことができない様子」または「読み書きを苦手とする人」を意味する言葉です。
漢字の読み方を「ぶんよう」や「ぶんもう」としている場合もありますがこれは誤りです。
萌え袖ちゃん
正しい読み方がわかってよかったわ!でも文盲を病気だと勘違いする人もいるらしいよ…。
文盲は学習障害ではない
成長に従って文字を読んだり書いたりできることを当たり前とする世の中では、文盲を病気に結び付けてしまっている風潮もあります。
混同されがちな病気のひとつである発達障害を例に、2つの違いを比較してみましょう。
発達障害
- 文字の読み書き、読解力の欠如などの学習障害がある
- 脳の機能障害など先天的な病気が原因
文盲
- 一定の年齢を過ぎているのに、文字を読むこと・書くことができない
- 家庭の事情などで、適切な学習の機会を逃していることが原因
文盲は差別用語になる可能性がある?
「盲」という漢字は目の不自由な人を表すため、テレビや紙媒体でも差別用語として認識されているのが現状です。
同等の意味を必要とする場合は、「字を認識できない」という意味から「非識字者(ひしきじしゃ)」という表現に置き換えて発信されることが多いので、覚えておくとよいでしょう。
文盲の使い方・用例
文盲は、単独で登場したり熟語として使われることもある言葉です。それぞれの例をもとにご紹介していきます。
熟語としての使われ方
まずは文盲を熟語として使う例からみていきましょう。
無学文盲
文盲をよりはっきり印象付けている熟語といえば「無学文盲(むがくもんもう)」です。
無学文盲とは、学問に触れる機会がなく「読むこと」「書くこと」に加え「計算する」といった知識も全く持たない状態や人を表しています。
明治時代ごろまで無学文盲は珍しいことではなく、むしろ多数派だったといっても過言ではありません。
文盲率
盲文率は一定の国や地域の中で文字を読み書きできない人の割合を示すものですが、現在では「非識字率」に置き換えられています。
ちなみに日本は非識字率0%で、数字の上ではほとんどの人が文字を認識できている状態にあります。
一方で、世界には文字を認識できる人の割合(識字率)が50%にも満たず非識字率の高い国があるなど、埋まらない格差があることも事実です。
文章の一部としての使われ方
つづいては、文章の中に文盲が入る例をいくつかご紹介します。
仮に人民の徳義今日よりも衰えてなお無学文盲に沈むことあらば…
福沢諭吉が著した「学問のすゝめ」に登場する一節です。
学びの大切さを説くなかで無学文盲の弊害を憂いている福沢の心情が推察できます。
学校に通うことができない文盲の子供は世界中にいる
紛争が絶えない国では人々の識字率も低い傾向にあり、本来の意味そのままに文盲を余儀なくされている人が大勢いるとして使われる場合があります。
文盲の英語表現
日本語の文盲には差別や偏見も見て取れますが、英語では「illteracy」(イリテラシー)や「an illiterate」といった表現になります。日本と同じく読み書きができないこと(人)を意味する単語です。
文盲の類語や似た表現
非識字者以外にも文盲と同様の意味を成す類語はいつくかあります。
不文
もともと不文(ふぶん)には「文明が開けていない」という意味と、文字の理解や文章に関する2通りの意味が存在しています。
文盲に近いのは後者で、「相手に伝える方法として文字や文章を使わないこと」や「文字そのものを知らない」「文章を書くことが下手」といった意味で用いられています。
無筆
無筆(むひつ)は「読み書きができないこと」の意味を持つ文盲の類語で、名だたる文豪の小説の中にも登場する表現です。
無知蒙昧
無知と蒙昧という2つの言葉が合わさった「無知蒙昧(むちもうまい)」も文盲の類義としてはポピュラーです。
「無知」とは知恵や知識が無いことで、「蒙昧」は知識の薄さが原因で筋道だった解決ができない状態のことを指します。無知蒙昧は「学問の経験や知識が乏しく非常識な様子」として用いられ、四字熟語のテストなどで目にすることも多い言葉です。
文盲の意味のまとめ
通常の学習ではほとんど触れる機会がなくなった言葉といってもよいのが文盲です。本来の意味を正しく理解して、いたずらに人を傷つけることのないようにしたいものですね。
間違った解釈を見直すのに役立つ参考書的な書籍もありますので、手に取ってみてはいかがでしょうか。