祇園祭は日本三大祭の一つと言われています。しかし驚いたことに祇園祭にも、日本三大祇園祭というものがあるのをご存知でしょうか。
一つ目は言うまでもなく京都の祇園祭、二つ目は博多祇園山笠です。一般的には”博多山笠”として有名ですが、実は800年以上の歴史がある祇園祭の一つです。そして三つ目は会津田島の祇園祭です。同じく800年以上の歴史があります。このように祇園祭あるいは祇園囃子として伝承している祭りは全国に200件以上あるとも言われています。
全国に広がる祇園祭のルーツである京都の祇園祭に関して、いつから始まりどのような流れを辿って現在に至るのか、その由来や歴史を詳しく解説します。
祇園祭とは
祇園祭とは京都東山にある八坂神社の1千年以上の歴史を持つ例大祭です。
祇園祭の「祇園」とは仏陀が説法を行なった古代インドの寺院である祇園精舎に由来しています。そして、祇園精舎の守護神とされる牛頭天王を疫病平癒、災害厄除けのご利益があるとして祭神として信奉したのが八坂神社です。現代では世界中からのべ200万人以上の方が訪れる世界に誇る祭りに成長した祇園祭に関して、まずは開催時期や行事の内容を説明します。
祇園祭が行われる場所
祇園祭は大きく言えば京都の中心部がすべて会場と言えます。八坂神社を起点とする四条通がメインとなり、四条川原町、四条烏丸という京都市内でも一番の繁華街を中心に山鉾が立てられます。また、御池通には山鉾巡行の有料観覧席も設けられます。
祇園祭が行われる時期
祇園祭が行なわれる時期は毎年7月です。7月1日の「吉符入」から始まり31日の「疫神社夏越祭」まで一ヶ月間を通して催されます。
中でも優雅な「宵山」と勇壮な「山鉾巡行」は見逃せないハイライトです。山鉾巡行は7月17日(前祭)と24日(後祭)の2回催されます。そして宵山は前祭の直前の14日の「宵々々山」から16日の「宵山」まで、後祭の直前の21日の「宵々々山」から23日の「宵山」まで催されます。
祇園祭の期間は年によって変動する場合がありますので事前に確認が必要です。
前祭と後祭に分かれる
祇園祭のなかでも山鉾巡行は前祭(さきまつり)と後祭(あとまつり)の二つに分けて行なわれます。日程と内容は以下のとおりです。
【前祭】
7月10~14日 鉾建て・山建
7月17日 山鉾巡行
前祭りでは1基の長刀鉾と22基の山鉾が朝9時に四条烏丸の交差点を起点として川原町から御池通りまで反時計回りで巡行します。
【後祭】
7月18~21日 鉾建て・山建て
7月24日 山鉾巡行
後祭では1基の長刀鉾と10基の山鉾が朝9時30分に前祭りとは反対に烏丸御池通りを起点として四条烏丸まで時計回りに巡行します。
巡行する山鉾の順番は7月2日に京都市役所で行なわれる「くじ取り式」といわれるくじ引きで決まりますが、一番手の長刀鉾だけはくじ引きに左右されないので、”くじ取らず”とも呼ばれています。また、前祭と後祭では巡行のルートに違いがありますので見学の際には事前に確認が必要です。
そして、山鉾巡行と同時に行なわれるもう一つの神事が「神輿渡御」(みこしとぎょ)です。前祭では市中の災厄と穢れを祓うために神殿より神様をお迎えするための「神幸祭」、後祭ではお迎えした神様にお戻りいただくための「還幸祭」の二つに別れています。
優雅な山鉾と合わせて勇壮な神輿渡御は祇園祭の大きな見所の一つです。
壮麗な山鉾巡行に目を取られがちですが、神様を戴いた神輿渡御が祇園祭では最も重要な行事といえるのです。
祇園祭の由来と歴史
京都の風物詩として人気の高い祇園祭ですが、そもそもいつから始まり現在まで受け継がれているのでしょうか。祇園祭の起源や由来に関して詳しく解説します。
祭が開催された由来/理由は?
祇園祭の起源は平安中期の869年(貞観11年)までさかのぼります。当時の平安京には疫病が蔓延し地震や火災などの災害が頻発していました。その災厄は悪霊がもたらしているという考えの御霊(ごりよう)信仰が広がりました。
悪霊を鎮めるために当時の日本国内の国の数と同じ66本の鉾を立て、現在の八坂神社にあたる祇園社に神輿を奉納する「御霊会」を行ないました。この行事が後に祇園御霊会と呼ばれ、現在の祇園祭の前身となり、その後民衆の手によって守り育てられた祭です。
時代の変遷は以下のような流れで整理できます。
【平安時代】(794年~1185年)
祇園御霊会の起源となる、祟りを防ぐ鎮魂の儀礼「御霊会」が催される。その後、民衆の中に広がり後期では空車、田楽、猿楽なども加わり規模も大きくなります。
【室町時代】(1336年~1392年)現在の姿に近い山鉾巡行が始まります。
しかし、末期の応仁の乱(1467年~1477年)の影響で祇園祭は30年近く途絶えます。
【桃山時代】(1573年~1603年)
豊臣秀吉により山鉾を持つ町と持たない町が協力して山鉾巡行を支える「寄町」の仕組みが構築され、現在の山鉾巡行に近い形に整備されます。
【江戸時代】(1603年~1868年)
政情は安定し、民衆の手によって山鉾は競って壮麗なものに進化していきますが、末期には禁門の変により多くの山鉾が消失。現在でも復旧できない山鉾があります。
【明治以降】
第二次大戦(1941年~1945年)前後は国力の低下もあり祇園祭は中断されました。終戦後復活しましたが財政や都市の交通事情などにより祇園祭の形態は変化をし、1966年(昭和41年)には前祭と後祭は一つに統合されてしまいます。その後、現在のように二つの祭りに復活したのは2014年(平成26年)と最近の出来事です。
祇園祭とユダヤ教の関係
そしてもう一つ、祇園祭の由来を遠く中東のヘブライと結びつける説があります。
ヘブライとは古代イスラエルの文化や言語、民族を総称する言葉です。そして多くのヘブライ人が信奉する宗教がユダヤ教であり、ユダヤ教の重要な祭りとして「シオン祭」があります。シオン祭とはノアの箱舟が山頂に漂着して救われた事を祝う祭りであり、シオンとはエルサレムにある地名でキリストの最後の晩餐が行なわれた場所でもあります。
祇園祭とシオン祭その語感も非常に似ていますが、それ以外にもシオン祭が祇園祭の起源であるとされるいくつかの類似点が以下のように存在します。
【八坂とヤ・サカ】
「ヤ」はヘブライ語で神様を意味し、「サカ」は小屋を意味します。すなわち、ヤサカとはヘブライ語では神社と同様な意味を持つ言葉です。
【7月17日】
7月17日は祇園祭では前祭の山鉾巡行と神輿渡御が行なわれる重要な日程であり、シオン祭ではノアの箱舟がアララト山にたどりつき救いを確認した日となっています。
【7月10日】
7月10日は祇園祭では神輿を清める神輿洗が行なわれます。一方,シオン祭では贖罪の日とされ聖なる集会が催されます。
【同一時期】
どちらの祭も、7月1日~31日の同一の時期に催されます。
【山鉾】
祇園祭に登場する山鉾の緞帳(タペストリー)には旧約聖書「イサクの結婚」の場面が描かれているものがあります。
【日本とユダヤの同一祖先説】
日本とユダヤの間には言葉の語感や風習などで非常に似通った点があり、ルーツが同一であるという説を唱える学者も存在しています。
日本とヘブライの間には祇園祭のほかにも、「伊勢神宮などの六芒星とダビデ王の紋章が同一である」、「キリストは日本の東北地方(戸来)で没した」などの説もあり奇妙なつながりが指摘されています。
2019年の祇園祭について
2019年の祇園祭も例年同様に7月1日~31日の1ヶ月間に渡って催されます。
そして、やはり最大の見所は17日の前祭と24日の後祭の2回行なわれる山鉾巡行で、その観覧場所としては以下の4ヵ所がおすすめです。
- それぞれの山鉾のスタート地点
- 河原町通
- 四条通
- 御池通
有料観覧席が設けられている場所もありますので京都市観光協会のホームページなどでも確認できます。
祇園祭の歴史と由来
- 祇園祭は平安時代に災厄を祓うために催された御霊会が起源です。
- 八坂神社には須佐之男命と同一視される牛頭大王が祀られ、蘇民将来の逸話に起源を辿ることができます。
- ユダヤ教のシオン祭に起源を求める説も存在しています。
- 2019年も例年同様の日程で開催されます。
祇園祭とは