祇園祭山鉾の歴史と由来
祇園祭山鉾の歴史と由来は祇園祭の前身となる御霊会が執り行われた平安時代中期に遡ります。864年(貞観6年)に富士山が噴火し、869年(貞観11年)には東北で貞観の大地震が発生しています。このような災厄を鎮める意味で当時の日本にある国の数の66本の鉾を立てたことが山鉾の起源です。
時を経て南北朝時代(1336年~1392年)には現代の山鉾のように壮麗な山車に変化をし、定着をしていきます。
現代にいたるまでの間、紆余曲折がありましたが現在では前祭りで23基、後祭で10基の合計33基の山鉾があり、大きいものでは地上から鉾頭までおよそ25m、総重量は10トンを超える山鉾があります。
祇園祭神輿渡御の歴史と由来
祇園祭神輿渡御は「(ぎおんさい)みこしとぎょ」と読みます。少し難しい言葉ですが、京都市中の災厄を除けるために神社の神殿から市中にお出ましいいただくための乗物が御神輿で、前祭りでは市中にお越しいただき、後祭で神殿にお帰りいただく事を渡御と称します。
御霊会が催された当初は立てられた66本の鉾の間を神輿が渡御されたので、現在のような壮麗な山鉾巡行が行なわれる以前では神輿渡御が祇園祭の中心であったと考えられます。
御神輿は3基あり、それぞれの神輿の祭神は以下のとおりです。
中御座:素戔嗚尊(すさのおのみこと)
東御座:櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)
西御座:八柱御子神(やはしらのみこがみ)
祇園祭を英語で
祇園祭を英語で表現すると、”Gion festival”または”The Gion festival(in Kyoto)”となります。
祇園祭はインバウンド観光客には特に人気があるお祭の一つです。
山鉾に付けられているタペストリーには外国製のものが多くその絵柄も神道や仏教を離れてインターナショナルな感覚になっています。特に山鉾巡行の際には外国人ボランティアが英語などを駆使して案内人として活躍をしています。”Gion festival”または”The Gion festival(in Kyoto)”という単語が飛び交って耳にする機会も多いのではないでしょうか。
祇園祭の歴史と由来
- 山鉾は祇園祭の前身である御霊会で立てられた66本の鉾が起源です。
- 神輿渡御はもともとは祇園祭の中心で、京都市中の災厄を除けるために三柱の神様にお出ましいただく神事です。
- 御神輿には中御座、東御座、西御座の3基があります。
- 祇園祭は英語で表記すると”Gion festival"となりインバウンド観光客にも特に人気のあるお祭です。
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祇園祭山鉾の歴史と由来