ファティマの予言とは?
ファティマの予言とは、1917年7月13日にポルトガルのファティマという町のカベソの丘で、いつも通り羊の世話をしていた3名の子どもたち(ルシア・フランシスコ・ジャシンタ)の元に聖母マリアがに現れ、3つの予言を与えたものです。
初めに子どもたちの前に訪れたのは、1916年の春頃に、平和の天使と名乗る14~15歳の若者でした。その若者は、聖母マリアが現れる前兆として何度も子どもたちの前に現れては祈りの言葉と祈り方を教えたのです。それから1917年5月13日に初めて聖母マリアが子どもたちの前に現れるようになりました。現れた理由は「イエスが人間に背かれ過ぎていること」で、人々が改心されなかったときに訪れる最悪な事態を3つの予言として託したというわけです。
ファティマの予言はすでに的中している
ファティマの予言はすでに的中しています。
この章では3名の子どもたちが聞き取ったを第1の予言・第2の予言ご紹介します。
ファティマ第1の予言
ファティマ第1の予言は第一次世界大戦が来年に終局を迎え、ロシアが災いの中心となるということでした。
第一次世界大戦は1914年7月28日から1918年11月11日まで行われており、この予言を受けた時は大戦の真っ最中である1917年7月13日でした。実際に聖母マリアの予言通り、翌年に大戦は幕を閉じ、ロシアでは大戦が終了してから4か月後にこの大戦が原因で国の社会問題を悪化させ、ロシア革命が起きました。
ファティマ第2の予言
ファティマ第2の予言は次期ローマ法王在任中に、第一次世界大戦より酷い戦争が起こるということでした。さらにその戦争が起こる前に神からの警告として、夜空に不思議な光が発せられると告げられています。
この「第一次世界大戦より酷い戦争」とは第二次世界大戦のことで、大戦が取り決められた時のローマ法王はピウス11世でした。彼は大戦が開始する約7か月前の1939年2月10日に他界し、次のローマ法王在任中に第二次世界大戦が起こったため、聖母マリアのふたつめの予言も的中しました。夜空の不思議な光については、実際にヨーロッパでオーロラが見られた後、世界大戦が始まったという記録が残っています。
封印された「ファティマ第3の予言」
ファティマ第3の予言については、未だ物議をかもしています。
ルシアは聖母マリアに、3つ目の予言については1960年まで公表はしていけないと告げられていました。実際に1960年を過ぎた頃、1944年1月3日に書かれたとされる第3の予言についての文書(現在は公文書として扱われています)を当時のローマ法王ヨハネ二十三世が閲覧してあまりの衝撃に言葉を失い、公表はせずに封印することになりました。その後就任したローマ法王パウロ六世が封印を解いて閲覧を試みましたが、内容にショックを受けて昏睡状態に陥りました。
このことから世の中の混乱を避けるべく、公開されないでいました。その中で1981年5月2日にカトリック修道士が犯人となった「アイルランド航空164便ハイジャック事件」が発生しました。彼の要求は、ファティマ第3の秘密を公開せよというもので、このような経緯を経て2000年5月に教皇庁は公表に至りました。
ファティマ第3の予言の内容
ファティマ第3の予言として教皇庁が公表したものは、1981年5月13日に発生した「教皇(ヨハネ・パウロ2世)暗殺未遂事件」のことを示しているとし、内容は下記の通りです。
- 聖母マリアは第1予言・第2予言のあとにこれを述べられた。
- 私たちは聖母マリアと会話をした際、彼女の左側より少し高い所に、火の剣を左手に持った天使がいた。
- 聖母マリアは右手を天使に向かって差し伸べておられ、火はそこから発する輝かしい光に触れると消える。
- 天使は右手で地を指しながら大声で「悔い改め、悔い改め、悔い改め」と叫んだ。
- 私たちには計り知れない光(それは神)の中に、白い衣をまとったひとりの司教が見え、それは教皇だという感じだった(見え方は鏡越しで人を見るようなイメージ)。
- 他にも多くの司教・司祭・修道士・修道女が、険しい山を登っていた。
- 頂上にはコルクの木のような粗末な丸太の大十字架が立ってた。
- 教皇は頂上に到達なさる前に半ば廃墟と化した大きな町を、苦痛と悲しみに震える足取りで通り、歩いている際に出会った死者の魂のために祈っていた。
- 山の頂上に到達した教皇は大十字架のもとにひざまづいてひれ伏されたとき、一団の兵士たちによって殺された。
- 兵士たちは教皇に向かって何発もの銃弾を発射し、矢を放ち、他の司教・司祭・修道士・修道女・様々な階級と職種の平信徒の人々も次々にそこで死んでいった。十字架の二つの腕の下にいた二名の天使は、それぞれが手にした水晶の水入れにそこで死んでいった人々の血を集め、神に向かって歩んでくる霊魂にそれを注いでいた。
- この文書はトゥイにて一九四四年一月三日に書いたものである。
公開されたファティマ第3の予言は嘘?
2000年5月に公開されたファティマ第3の予言を嘘とする話があります。この話はルシアが「バチカンは嘘をついているし、それは一部にしか過ぎない」と発言し、司法省へ提訴したこと(後にお互いに和解している)やローマ法王が意識不明になるほどの内容でないこと、1960年から公表までに40年も掛かるほどの内容でないことなどが根拠として挙げられています。
また、バチカン宮殿で奉公しているヨセフ(イエスの父)と名乗る人がインターネット掲示板を通じて、「2035年にファティマ第3の予言の原文が公開される。これは確定事項だ」と書き込みをしたことが話題となっています。ヨセフは掲示板上で、妻マリアが起こした奇跡を公明正大に伝えていく活動をしているが、妻が告げた3つ目の予言については自分も分からないという主旨を語ったのです。
ルシアも2005年2月13日に亡くなり、真実が明かされないままとなっているため、世界中では2035年を待つしかないといわれています。
ファティマ第3の予言に関するさまざまな説
ファティマ第3の予言に関するさまざまな説があるため、ご紹介します。