敬老の日はなぜできた?敬老の日制定の由来
先ほど国民の祝日になる以前から敬老の日に当たる日が存在することに触れましたが、どのようにして国民の祝日になるに至ったのでしょうか?
ここでは敬老の日の制定に至る過程を見ていきましょう。
敬老の日ができた理由
敬老の日はもともと、戦後真っただ中の1947年に兵庫県の野間谷村(現在の多可町八千代地区)で独自に制定されたものが起源です。
当時は日本が敗戦を迎えて間もないうえ戦後の混乱期でもあったため、社会全体の空気も重いものでした。
そこでこの村の当時の村長だった門脇政夫が、子供を兵士として出征させた55歳以上の村民をねぎらう意味で、9月15日に村主催の敬老会を開いたのが始まりです。
9月15日の日付については1年の農作業がひとまず落ち着き、天候も穏やかになる時期に当たっていたというのも理由の1つとされています。
敬老の日の元となったとしよりの日とは?
その後門脇の提案によって1948年に村の祝日として「としよりの日」が制定されました。これは「老人を大切にし素つつ、老人の知恵を借りながら村づくりをしよう」という趣旨がありました。
さらに門脇は年配の方を記念する日を全国にも広げようと国や兵庫県にも働きかけ、その結果全国的な「としよりの日」も作られました。
しかし語呂の響きが悪いということで1964年に「老人の日」に名称が変更となり、1966年の祝日法改正で国民の祝日になったことに合わせて「敬老の日」と呼ばれ現在に至っています。