「忌み子」とは?意味・読み方と特徴・歴史について

「忌み子」とは?意味・読み方と特徴・歴史について

忌み子とは古い時代に不遇な子供に対して投げつけられた差別用語の一つであり、実際に忌み子にまつわる辛く悲しい現実が存在していたことも事実です。忌み子という言葉の意味や由来・歴史などに加えて古代から伝わる風習などに関しても詳しく解説します。

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  1. 1「忌み子」とは?
  2. 1.1読み方と意味、特徴
  3. 1.2「忌み子」は差別的な習慣からくる言葉
  4. 2「忌み子」の歴史
  5. 2.1日本で初めての「忌み子」はヤマトタケル?
  6. 2.2昔は双子=「忌み子」とされた
  7. 2.3家康の次男、結城 秀康の例
  8. 3「忌み子」の特徴と背景
  9. 3.1双子やハーフ
  10. 3.2親から愛されない・虐待を受ける
  11. 3.3近所や友達から避けられている
  12. 3.4持ち物が古い・汚い
  13. 3.5自分自身も生まれてこなければよかったと思い込んでしまっている
  14. 4「忌み子」とは?まとめ
  15. 5忌み子にまつわる読み物
DATSUさん

DATSUさん

忌み子という文字面からも、あまり良くない印象を受ける言葉だね。
どんな由来や背景がある言葉なんだろう?

「忌み子」とは?

フリー写真素材ぱくたそ

「忌み子」とは、望まれないままに生まれた子という意味です。不浄として避けられたり、避けるべきものとして嫌われたりする子を指します。

忌み子という言葉は現在ではほとんど使われない言葉の一つであり、普段の生活の中ではあまり触れることがない言葉かもしれません。

忌という漢字が使われていることから、どうしてネガティブなイメージを持ってしまう言葉であり、確かに差別的な要素を持ち合わせています。

読み方と意味、特徴

忌み子は、「いみご」あるいは「いみこ」と読みます。

漢字の忌には、「いまわしい」あるいは「嫌って避ける」などの意味があり、忌み子とはすなわち「いまわしい子供」「嫌われ、避けられる子供」という解釈となります。

生まれてきた生命に対して蔑みの言葉をあびせるような仕打ちなどは、本来はあってはならない事であり、現在でほとんど使われていない言葉です。

しかしながら、現在に至るまでの歴史の中では社会的に認知され、特定の境遇に置かれた子供たちが忌み子として不遇な扱いを受けていた時代も実際に存在していました。

「忌み子」は差別的な習慣からくる言葉

忌み子とは、望まれずに生まれてきた子供、あるいは周囲の子供たちと違うところがあるような子供を差別し、遠ざけるような風習を伴った差別用語です。

忌み子と呼ばれる子供には以下のような要素があげられます。

【望まれない子供】
性的暴力などによって望んでもいないのに生まれてしまった子供、あるいは愛人に産ませた、浮気の結果生まれたなど、公にはできないような存在の子供は忌み子と呼ばれていました。夫婦の間でも妊娠したが中絶などの費用がなく、やむを得ず出産した子供なども含まれます。

【不吉な子供】
宗教や信仰上不吉とされる日程に生まれた子供や、見た目が周囲とは違った子供、障害を持った子供なども以前では不吉を招く忌み子として隔離されたり、遠ざけられたりしていました。

現在の日本ではあまり考えられないことですが、信仰上の理由や外面的、内面的な違いから差別されてしまう事例は、世界中では厳然と存在していることも悲しい事実です。

【嫌われている子供】
周囲から嫌われて友達関係にとけこめず、いじめを受けている子供も忌み子とされていました。いじめている方よりも、いじめられている子供を忌むべき存在として差別した風習です。

「忌み子」の歴史

忌み子という概念の歴史は古く、日本最初の歴史書である古事記に記されている水蛭子(ひるこ)の話にまでさかのぼります。

伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのいみこと)の間に最初に生まれた神様である水蛭子(ひるこ)は、手足の骨がなく蛭のような体の子供であり、不吉に感じた二神は葦の船に乗せて流してしまいます。

水蛭子が生まれた理由は、国生みを始める際に女性神である伊邪那美命が先に声を発したからとされ、順序を間違えて望まれていない子供が生まれたと解釈されます。

日本書紀にも同様に水蛭子(ひるこ)は二神の間に誕生し、三歳になっても立つこともできなかったので天磐櫲樟船(あめのいわくすふね)に乗せて流したとされています。

水蛭子(ひるこ)の解釈には諸説ありますが、やはり障害児を象徴し、災いをもたらす不吉な子供とされていたと考えることが最も妥当な理解となります。

記紀が編纂された時代には、忌み子という言葉はまだ存在していなかったかもしれません。しかし、不吉と思われる子供を忌み嫌い遠ざける風習は古代から存在していたと考えられます。

日本で初めての「忌み子」はヤマトタケル?

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日本で初めての忌み子は、あのヤマトタケルではないかという説も存在しています。

小碓命(ヤマトタケル)は、兄の大碓命(おおうすのみこ)に対する父からの命令を間違って解釈し、兄をとらえ手足をもいで投げ捨てて殺してしまいました。

その事実を知った父である景行天皇はヤマトタケルを恐れ忌み嫌い、熊襲(くまそ)をはじめとした全国を平定する名目で遠ざけたのです。

また、日本書紀では兄の大碓命と弟の小碓命は双子であったと記載されています。

実は、双子とは不吉な忌み子として、差別の対象となっていたのです。

昔は双子=「忌み子」とされた

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昔は双子で生まれた子供は忌み子と見なされていました。

理由の一つは、一度に複数の子供が生まれるのは獣のようで汚らわしいと見なされていたからです。

実際に双子を生んだ母親は、畜生腹(ちくしょうばら)という、耳にするのもはばかられるような言葉でののしられていました。

そしてもう一つの理由として、医学が進んでいなかった昔では一度に二人以上の子供を出産することに耐えられず、死んでしまう母親も多かったと言われています。母親の死と引き換えに生まれてきた双子は、母親殺しと呼ばれ忌み嫌われました。

家康の次男、結城 秀康の例

江戸幕府初代将軍徳川家康の次男、結城秀康もまた忌み子として知られています。

家康の次男に当たる秀康は、正室である築山殿の奥女中の子供であり、身分の低い女性から望まれずに生まれた子供であると言えます。その上、双子として生まれたので忌み子と見なされ、父家康からは疎まれた生活を送る事になります。

長男の信康が亡きあとは、本来であれば次男の秀康が家督を継ぐべきでありましたが、忌み子でるがゆえに避けられ、三男の秀忠が二代将軍に選ばれたという説もあります。

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「忌み子」の特徴と背景

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