千早振る(ちはやぶる)とは?
千早振るは「ちはやぶる」、または「ちはやふる」と表記される枕詞です。
和歌「ちはやぶる神代もきかず竜田川からくれなゐに水くくるとは」を古典の授業で聞いたことがある方も多いでしょう。
万葉集や古今和歌集にある和歌の中で多く登場するので、多くの人にとって聞き覚えのある言葉ですが、その意味はご存じでしょうか?
この記事では、千早振るや枕詞の意味を代表的な和歌と共にご紹介していきます。
「ちはやぶる」の意味
「ちはやぶる」は元々、激しい勢いという意味の動詞、ちはやぶが変化した言葉です。そのため、「ちはやぶる」とは激しい勢いを表します。
しかし、枕詞は特定の言葉を導く布石のようなものなので、和歌の中では意味を持ちません。
枕詞とは
枕詞(まくらことば)とは、修飾語として和歌で用いられ、全体の調子を整えたり、修飾したりするための言葉です。しかし、先述したように、和歌の中では意味を持たない言葉でもあります。
枕詞には決まった言葉が後に続き、「ちはやぶる」の場合は「神」または「宇治」が来るのがルールです。
「ちはやぶる」が使われている代表的な作品は?
「ちはやぶる」が使われている代表的な作品をご紹介します。
落語では「千早振る」が有名です。古典演目のひとつで、古くから現在まで進化を繰り返している人気作品です。千早振るを独特の解釈で無理矢理説明する様で、笑いを誘います。
漫画では、昨年話題になった映画の原作の「ちはやふる」(作・末次由紀)が挙げられます。主人公の千早という女の子が、小学生のときにとあるきっかけで始めた競技かるたにのめり込んでいく高校生活を描いています。
百人一首で使われる「ちはやぶる」【在原業平】
百人一首で使われるちはやぶるといえば、在原業平が詠んだ下記の一首です。
「ちはやぶる神代もきかず竜田川からくれなゐに水くくるとは」
秋の鮮やかで美しい情景が目に浮かぶような美しい一首です。ここでは、後の「神」を導く言葉として使われています。
和歌の意味
在原業平が詠んだ和歌の意味ですが、現代語訳すると下記の通りです。
「不思議なことがたくさん起こったという神様の時代にも聞いたことがない、竜田川が一面紅葉で真っ赤に染まっているなんて」
ちはやぶるの言葉自体の訳はなく、先述の通り神という単語を引き出すために使われています。
ちなみにこの和歌を詠んだ在原業平は、プレイボーイとして日本史上で有名です。後世にも残る良い歌を詠むぐらいですから、大層平安ガールからモテていたことでしょう。
古今和歌集で使われる「ちはやぶる」【紀貫之】
次に、古今和歌集で使われたちはやぶるについて見ていきましょう。作品は様々ありますが、紀貫之が詠んだ一首を紹介します。
「ちはやぶる 神のいがきに はふくずも 秋にはあへず うつろひにけり」
この一首も一句目からちはやふるが使われています。なんとも言えない、もの寂しげな雰囲気が感じられる一首です。
和歌の意味
紀貫之が詠んだこの和歌の意味は下記の通りです。
「神様の垣根に這って生えた葛も、秋には耐えきれずに衰え枯れてしまったことよ」
ここでのちはやぶるは在原業平が詠んだものと同じように、枕詞として使われている為訳はありません。ちなみ、紀貫之は土佐日記という作品で、女性のふりをして執筆していたことで有名な人です。
古典落語の演目「ちはやふる」
先ほどもご紹介した古典落語の演目の「ちはやぶる」は落語の中ではポピュラーな話で、現在でも新人から大御所まで多くの噺家が演じています。
話は、ある親父が百人一首を花札と勘違いして馬鹿にされたところから始まります。
ちはやぶるの和歌の解釈を聞かれて答えられなかった親父は、自称物知りのおじいさんを訪ねて意味を聞こうとします。しかし、おじいさんもわからず、誤魔化そうとして無茶苦茶な解釈を話し出す、という笑い話です。
この話でのちはやぶるですが、主人公が千早という花魁に振られたから千早振る、というおじいさんの珍解釈で登場します。
「ちはやぶる」と「ちはやふる」に意味の違いはあるの?
「ちはやぶる」と「ちはやふる」に、意味の違いはなく、どちらも同じ意味です。
ただし、ちはやふると書いてあっても読み方はちはやぶると濁ります。
平安時代に出来たかな文字ですが、最初の頃は濁点が無かったため、表記はそのままに声に出すときは濁ったことが理由とされています。
千早振る(ちはやぶる)の意味のまとめ
- ちはやぶるとは元々激しい勢いという意味
- ちはやぶるとは神や宇治を導く枕詞
- ちはやぶるもちはやふるも同じ意味