太陽王「ルイ14世」はどのような人物?
17世紀から18世紀にかけてフランス国王の座に君臨し絶対王政を築き上げた「ルイ14世」は、かの有名なベルサイユ宮殿を築いたことでも知られています。
絶対王政とは当時貴族や教会に分散していた権力を全て国王に集める政治体制のことで、ルイ14世の時代に確立されました。
本記事ではそんな彼自身が残した名言や逸話から、ルイ14世の人物像に迫ります。
ルイ14世の生涯
1638年9月5日のフランス、サンジェルマン=アン=レー城でルイ14世は産声を上げました。
父親であるルイ13世が若くして亡くなったため、ルイ14世はわずか4歳にしてフランス国王に即位しました。しかし当時のフランスは国内外で戦争が繰り広げられる大変な時代でした。
当時国内では中央集権化に反発した貴族によるフロンドの乱が起き、また対外的にはドイツで起きた宗教的な内乱がヨーロッパ各国に拡大した三十年戦争にも巻き込まれていました。非常に危険な状況下ということがあり、ルイ14世は幼くして逃亡生活など苦難の連続を経験しました。
しかしその後はハプルブルグ家に対抗する形で積極的に周辺国に対し戦争を仕掛けて勝利し、フランスとその国王の影響力を確かなものにしました。こうして築いた絶対王政は1680年に絶頂期を迎えました。
ルイ14世の死因は壊疽の悪化とされています。壊疽(えそ)とは体の組織が死ぬ現象が悪化することで起きる合併症です。
しかしながら4歳にして即位してから1715年にこの世を去るまで、実に72年もの間フランス国王として絶対的な権力を誇りました。
太陽王「ルイ14世」が残した名言5選
ルイ14世の残した名言の数々には彼自身の人生観や生き方が表れています。ここからはルイ14世が残した名言を5つ紹介していきます。
朕は国家なり
ルイ14世が残した言葉の中でもっとも有名なのはこの言葉でしょう。フランスにおいて絶対王政を確立した人物であるルイ14世は、1680年にその権力の絶頂期を迎え、まさに太陽王と呼ぶにふさわしい絶対的権力を誇りました。
ルイ14世は宰相マザランの死後は宰相を置かず親政を開始し、政治的な権限を持っていた貴族を締め出し、政治を自分で行うようになりました。この言葉はこうした背景から生まれたものと考えられます。
朕が望んだ故、それは合法なのだ
これも一つ目と同様ルイ14世の権力の強大さを良く表しています。ルイ14世は宰相を置かず、政治における全ての権力を握っていました。そのためルイ14世に逆らえる人は誰一人としていませんでした。
自分自身に打ち勝つことが出来る人に抗うことが出来る人は殆どいない
自分自身に打ち勝つことが出来る人がいかに人間として強いかという考えが窺える言葉です。
動乱のフランスで幼少期を過ごしたルイ14世は人間不信になったと言われていますが、その裏では相当な苦労をしてきたはずです。彼自身のこうした経験を通して、自分自身が真に強くあろうとする意志が育っていったことが窺えます。
朕は死にゆくが国は残るのだ
ルイ14世は周辺国に戦争を仕掛けては自ら戦場に赴きました。そして勝利をもたらしフランスの威信を高めていきました。争いの絶えなかった時代に、自国を守るため自らその最前線に立ってきたルイ14世ならではの重みを感じる言葉です。
しかし皮肉なことにこの積極的な侵略、領土拡大により市民に重税が課せられ、そのことが後にフランス革命の火種となったのです。
太陽王「ルイ14世」にまつわる逸話5選
ここからはルイ14世にまつわる逸話を紹介していきます。数ある逸話の中には親近感を感じてしまうような意外な逸話も残っています。
バレエが得意
当時のフランスの宮廷ではバレエや音楽に関する教養はとても重要視されたため、貴族の子女は皆熱心にバレエや音楽を学びました。ルイ14世も幼少期からバレエを学び、非常に上手だったと言われています。彼の異名である「太陽王」は彼がバレエで太陽神アポロンの役を演じたことにちなんで付けられたものです。
愛人が沢山いる
ルイ14世は内政、外交において積極的な姿勢でしたが、恋愛に関してもかなり積極的だったとされており、一夜限りのものも含めれば愛人は数えきれないほどいました。
ルイ14世の愛人の中で特に有名な人物の一人がモンテスパン夫人で、格別の寵愛を受けていましたが、驚くことに彼女はルイ14世を毒殺しようとしていたことが明るみに出たことで寵愛を失いました。
実は背が低い
実はルイ14世の身長は160㎝程度であり、彼自身そのことをかなり気にしていました。背が低くてはフランスの威信に傷がつくと考えた彼はウィッグを必要以上にふさふさに仕立てたり、ハイヒールを履くなどして身長を高く見せていました。彼の肖像画でも赤いハイヒールを履いているのが確認できます。
歯が一本もない
実はルイ14世の侍医が、歯は全ての病気の温床だと信じていたため、20回にも及ぶ手術によって1本残らず歯を抜かれてしまったのです。そのためルイ14世は限られたものしか食べることが出来ず、そのせいかお腹の調子も良くなかったと言われています。
人生で2~3回しか風呂に入っていない
当時は例え入浴の為であっても、裸になることは恥ずかしいことと捉えられていました。そのため水を浴びる習慣もなく、その代わりに香りのするパウダーをはたいたり、タオルにアルコールを染み込ませて体を拭くなどしていました。
太陽王「ルイ14世」には双子の兄がいた?
実はルイ14世には双子の兄がいたのではという説があるのです。
この説の発端は「鉄仮面」と呼ばれる人物の存在です。「鉄仮面」は映画「仮面の男」の題材になったことで広く注目されることとなった、未だに多くの謎に包まれている人物です。
「鉄仮面」は1669年から1703年に亡くなるまでの間、バスティーユ牢獄に捕らえられていましたが、牢獄にいる間はずっと仮面を被っており、面会者は勿論世話役を命じられた牢番ですらその素顔を知らなかったと言われています。
彼の正体については諸説ありますが、その説の一つに、鉄仮面がルイ14世の双子の兄であるという説があるのです。
当時のフランスでは政治的に重要な人物であれ罪人は長く生かしておかないのが常識でした。その中にあって鉄仮面は30年以上も牢獄の中で生きていたことから、少なくとも彼に何か特別な事情があったことがわかり、ルイ14世と何か関係があったことも考えられます。
番長
本記事ではルイ14世の名言や逸話を中心に彼の人物像に迫りましたが、もっと詳しく知りたい方にはこちらの本がおすすめです!
太陽王「ルイ14世」にまつわる逸話・名言のまとめ
- ルイ14世の残した言葉は、彼の権力がいかに強大だったかをよく表している
- ルイ14世は高い教養を持つ一方で、低身長などの悩みも抱えていた
- ルイ14世には双子の兄がいて、兄は何十年も牢獄にいたのではと言われている