哲学的ゾンビの意味とは?
哲学的ゾンビとは外見は人間とまったく同じだが、「感覚の質感を持たない」存在のことです。実際に存在している人間を指しているわけではなく、心の哲学における思考実験で提起された概念です。
哲学的ゾンビは「クオリア」という内面的経験を持たない存在です。内面的経験とは個人が持つ意識状態においての「感覚の質感」を感じることを指します。
例えば、私たちは青空を見上げて「青い」と感じます。色を感じる時に、私たちは太陽光が反射したその光の波長を目でとらえます。そして、その情報が脳の神経細胞に伝達されて「青い」と認識します。光の波長、そして脳の神経細胞から生じる脳内物質は「物質」として計測できます。その計測数値として理論上の説明は可能です。
しかし、その波長を「青い」と感じる「感覚の質感」は理論上の説明では他者と共有できません。なぜなら、「青い」と感じるその感覚は私たちの内的意識の中でのみ存在し、それが他者の感じる「青い」と同じ感覚であるという客観的証拠はどこにもないからです。
この「物質としては計測できないが確実に存在する感覚の質感」をまったく感じない存在を、人間と同じ姿を持ちながら人間とは異なる「哲学的ゾンビ」という概念で表したのです。
哲学的ゾンビの定義
哲学的ゾンビはオーストラリアの哲学者デイヴィッド・チャーマーズによって提唱された思考実験です。表面上は普通の人間と全く変わらないのに、その内面意識の中に「クオリア」と呼ばれる感覚的質感を持たない存在と定義されます。
哲学的ゾンビは表面上は人間とまったく同じように感情表現をします。しかし、そこには「悲しい」「楽しい」などの感覚的質感はなく、「このような刺激のときは泣く」「このような刺激のときは笑う」というような外的刺激にたいして物理的に反応を示しているだけです。
チャーマーズは「意識」が現在の物理的論理では説明できない、別の自然法則によって成り立っているものだと主張しました。そして、その主張を立証するための思考実験として哲学的ゾンビという概念を作り上げたのです。
クオリアとは
クオリアとは感覚的質感を表す概念の事です。私たちが感覚的に捉える概念、つまり「美しい」「明るい」「熱い」「痛い」などの、明確に言葉でその質感を共有することのできない主観的概念です。例えば、「明るい」ということの定義を生まれてからずっと暗闇にいた人に言葉で伝えることはできても、実際の「明るい」という感覚の質感は共有することができません。この主観的な感覚の質感を「クオリア」と言います。
哲学的ゾンビには2種類ある?
哲学的ゾンビには行動的ゾンビと神経的ゾンビの2種類があります。行動的ゾンビと神経的ゾンビの違いは、解剖学的にその身体構造がまったく人間と同一かどうか、ということです。
行動的ゾンビはその外見とふるまいが人間とまったく同じであるけれども、解剖によって人間との違いがある可能性が見つかるという含みがあります。つまり、もし人間と外見や行動パターンが同じアンドロイドが存在した場合、行動的ゾンビと言えるでしょう。
神経的ゾンビとは外見も解剖学的な点も全く人間と同じ構造を持ちながら「感覚の質感」を持たない存在のことを指します。通常、哲学的ゾンビとはこちらの神経的ゾンビを指します。
哲学的ゾンビは物理主義を批判するために作られた言葉?
哲学的ゾンビはチャーマーズが物理主義を批判するために提唱した思考実験です。チャーマーズが提唱した自然主義的二元論では、意識の「感覚的質感」を自然科学的に現在の物理的現象とは別の法則で説明すべきだとしています。
二元論とは、心の哲学において「肉体と精神は別の存在である」という考え方です。心の現象は物理的現象とは全く別の要因からなるという考え方の対極にあるのが物理主義という考え方です。
物理主義とは?
物理主義は唯物論とも言われる心の哲学における考え方の一つです。人の心の動きは全て脳神経系の働きによる結果であり、心的現象は全て物理的現象に由来するとしています。
物理主義では、心的現象は全て物理的に説明でき、純粋に非物理的なものは存在しないとしています。そして、物理的な性質が同じものは心的性質も同じであると考えられます。
物理主義を批判するゾンビ論法
チャーマーズは想像可能論法として哲学的ゾンビを使って物理主義を批判しました。想像可能論法とは、私たちが思考の上で成り立つと考えられるものは存在しうる、という考え方です。
人間と物理的な条件が全く同じだが意識の感覚的質感を持たない哲学的ゾンビだけが存在する世界をゾンビワールドといいます。ゾンビワールドが想像上で成り立つとするなら、感覚的質感としてクオリアを持つ私たち人間の世界はゾンビワールドとは全く別の存在です。物理主義の考え方では、物理的条件が同じ性質のものは心的性質も同じでなければなりません。よって、ゾンビワールドの存在は心の哲学において物理主義を否定するものになるのです。
つまりチャーマーズは哲学的ゾンビを使い、意識の感覚的質感は物理的事実とは別に存在しており、物理的事実からは発生しないということを証明しようとしたのです。この証明方法は「ゾンビ論法」と言われます。
物理主義の立場からは当然、批判も・・・
これに対し物理主義者からは哲学的ゾンビの想像可能性について、現代の脳神経学が発展途上であるがゆえの可能性であるという批判が出ています。脳神経学が発達して脳のしくみが解明されることにより、感覚的質感のしくみも解明されれば哲学的ゾンビは想像不可能であるというのです。
また、哲学論文関連のウェブサイトが行った哲学者への調査で、哲学的ゾンビの想像可能性について「想像可能である」と答えたのは全体の23%というアンケート結果もあります。また、想像可能性という概念自体が存在を証明し得るだけの根拠がないという説を唱える哲学者もいます。
人間の心はどこにあるのか、そしてその心の動きはどのようなしくみで起こっているのか。私たちは自分の中にある「心」というものの詳細すら、ほとんど解明できていないのです。しかし、実際に今この瞬間も私たちの心はさまざまな現象に対して感動し、揺れ動き、鮮やかな「感覚の質感」を感じています。この感覚の質感を感じることが「人間として生きている」ということなのでしょうね。
歴史上、多くの人を惹きつけてきたこの問題は、まだまだ解明されるまで時間がかかりそうです。
哲学ゾンビの意味と定義のまとめ
- 哲学的ゾンビとは外見は人間とまったく同じで「感覚の質感を持たない」存在のこと
- 実際に存在している人間を指しているわけではなく、心の哲学における思考実験で提起された概念
- 哲学的ゾンビには行動的ゾンビと神経的ゾンビの2種類がある