比喩や慣用句として使われる「大艦巨砲主義」の意味とは?
「大艦巨砲主義」(たいかんきょほうしゅぎ)とは現在比喩や慣用句として使われている言葉ですが、聞き馴染みのない人も多いのではないでしょうか。
大艦巨砲主義とは「組織が大きな設備や装置などを使うことで強くなる」という考え方であり、戦時中各国で考えられていた戦略の1つです。
これまで世界各国で製造されてきた艦艇は防御力か速度のどちらかを妥協し製造されていました。その後、防御力と速度の両方兼ね備えた艦艇が製造されるようになりましたが、防御力と速度を兼ね備えた艦艇は大きな艦砲を搭載することが出来ず、諦めるしかありませんでした。
しかし、日本軍は勝つために大きな艦砲を搭載することに重きを置き艦艇を製造しました。そのため日本の艦艇は過度の集中防御と速度不足などさまざまな問題が発生しました。
このことに由来し、現代では大艦巨砲主義は大企業を揶揄する言葉としても使われ、組織が大きくなればなるほど柔軟な対応ができず、小回りが利かないなど相手を冷やかすために使われる言葉でもあります。
大艦巨砲主義の本来の意味
大艦巨砲主義という言葉の本来の意味は「海軍の力を増強するためには、大口径の艦砲と厚い装甲を備えた大型艦艇が必要不可欠とする考え方」のことを指しています。
大艦巨砲主義は大きい艦砲をいくつも搭載させるために、大きな艦艇を使うことがこそが勝つために必要な条件であると考えている様子が伺えます。
大艦巨砲主義の反対の言葉にはジューヌ・エコールがあり、小型の艦艇を使うことに重心を置いた考え方です。
大艦巨砲主義の由来と歴史
大艦巨砲主義はどうして誕生したのでしょうか。大艦巨砲主義の由来と誕生するに至った歴史について調べ、まとめました。
大艦巨砲主義とは19世紀末ごろに誕生した考え方です。当時、蒸気機関が目まぐるしく発達し、大型の艦艇を造ることができるようになり、艦砲も大型のものが造れるようになりました。艦砲は大型のものになればなるほど射的距離も伸び、威力も高くなります。
そのため、できるだけ多くの艦砲を搭載しようという考えが生まれ、それに伴い艦艇も大きくなっていきました。この大艦巨砲主義は世界各国で19世紀末に誕生し、20世紀前半まで主要な海軍国で支持されていました。
大艦巨砲主義と航空主兵論
大艦巨砲主義の次に誕生したのが軍の中核を海戦から航空に移すという航空主兵論です。
1930年に日本はロンドン条約を結んだことにより、艦艇の製造が制限されることになりました。それと同時に航空機の技術が飛躍的に伸びており、戦力を艦艇から航空機に変えようという動きが起こりました。これにより大艦巨砲主義ではなく航空主兵論を支持するの声が高まりました。
しかし、当時はまだ航空機で艦艇を撃沈させることはできず、航空機はあくまでも艦艇の補助でしかないため海戦が重視されていました。
海軍の軍人である山本五十六大将はなかなか考えの変わらない人々に対して以下の言葉を残しています。
「頭の固い鉄砲屋の考えを変えるのには、航空が実績をあげてみせるほか方法はないから、諸君は更に一層訓練や研究に努めるべきだ」
山本五十六大将は大艦巨砲主義を批判し、新たに誕生した航空主兵論に関心を見せました。
大艦巨砲主義を使った例文
大艦巨砲主義を使った例文をご紹介します。
「大艦巨砲主義が覆れば、私たちは職を失いかねない」
この例文は、世間が大艦巨砲主義から航空主兵論に移り変わろうとしている際、日本の艦艇軍が放った一文です。大艦巨砲主義の本来の使い方をした例文になり、日本でなかなか航空主兵論が受け入れられなかった理由の1つになっています。
「この会社は大艦巨砲主義だ」
この例文は組織に対して揶揄するように大艦巨砲主義が使われた例です。会社が大きくなったことにより、変化などに柔軟に対応することが出来なくなっているさまを揶揄しています。
つまり、この例文には「会社の規模を大きくしたあまりに小回りが利かない、柔軟な対応のできない会社だ」という冷やかしやかからう意味が含まれています。
大艦巨砲主義の意味と由来のまとめ
- 19世紀末に誕生した戦略
- 大きい艦砲、大きい艦艇が勝つには必須という考え
- 大艦巨砲主義は大企業の揶揄としても使われる