逢魔時という言葉の背景と逸話
よしこ
それにしても「逢魔が時」なんて、大げさじゃない?
着物ちゃん
これには日本の昔の考え方が関わっているんです。
日本では昔から、空間や時間の変化が際立つ部分のことを神域に繋がる境界と考えていました。山や川、水平線や滝など地形や風景が急変する場所は、神域へと繋がる場所と考えられており、昼から夜へ、夜から朝へ変わる時間帯も神域の境界の一つとして数えられました。
「日本書記」や「万葉集」などでは常世と常夜、同じ読みの二つの語があり、どちらも神の国のことを指します。神の国は時間の概念がない場所なので、昼と夜、二つに分ける必要があったのです。常夜は死者の国を指し、災いに溢れた地獄のような場所で荒神の住まう場所と考えられました。
逢魔時は暖かく平和な昼の常世から、禍に溢れた常夜の時間に切り替わる境界の時間です。だからこそ大きな禍に逢う「大禍時」、または魔に逢う「逢魔時」と名付けられました。
よしこ
昔の人にとって「夜」はとても恐ろしい時間だったのね。
古来日本の死生観と死後の世界
日本に古来から存在する神道には「異界観」と呼ばれるものがあります。異界観とは岩や山、海や川など特徴的な自然物は神が宿っている場所でもありますが、神の住まう国とわたしたち人が住む世界との境界線でもあるという考え方です。
着物ちゃん
境界は山や川だけではありません。道路や道端で道祖神と書かれた祠や、お地蔵様を見かけたことはありませんか?
あれも境界の一つです。これには自分が住む場所に災厄を持ち込まないための結界の意味があります。
よしこ
悪いものを入れない門番、みたいな役割をしていたのね。今度お供え物にみかんでも持っていこうかしら。
「たそがれは逢魔の時間」もわたしたち人が暮らす昼の時間から、妖怪や魔物などが支配する夜の世界へと移動する境界の時間と言えます。昔の人は警戒の意味も込めて「逢う魔が時」と呼称したのでしょう。
一条百鬼夜行
一条百鬼夜行とは、京都にある大将軍商店街「妖怪ストリート」で行われているチャリティイベントです。内容は妖怪に仮装し、妖怪ストリートを大行列で練り歩くというものです。
一条百鬼夜行の起こりは室町時代に描かれた物語「付喪絵巻」にあります。付喪絵巻の話によると平安中期の平安京では「煤払い」と呼んでは古くなった道具を路地へ捨てていました。捨てられてしまった道具たちは腹を立てて大行列をなし、平安京の一条通りを闊歩しました。付喪神たちは暴れまわりましたが、ついには人間や護法童子に成敗され、仏教に所属することになりました。
現在京都の大将軍商店街「妖怪ストレート」では、付喪神たちの百鬼夜行を再現する妖怪仮装行列を毎年10月の第三土曜日に開催しています。逢魔時に妖怪が一条通りを練り歩く様子を見ることができます。興味のある方はぜひ参加してみてください。
着物ちゃん
現代に残る百鬼夜行、一見の価値ありです。絶滅危惧種なので、募金箱を見かけたらご協力お願いしますね。
逢魔時とは?まとめ
「逢魔時」には「逢魔が時」や「大禍時」など様々な言葉があり、現代は街灯や家、ビルの明かりに溢れ、昔と比べると犯罪にあう可能性は激減しました。
しかし「逢魔が時」は集中力が切れる時間帯です。交通事故などが多発する時間帯でもあるので、魔に逢わないよう注意してください。
また日本には様々な文化や独自の言葉があります。セレスティアでは日本の旧暦や言葉の意味など数多く紹介しています。ビジネスシーンでの使用や語彙力アップの参考に、他の記事もぜひ一読してみてください。
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