連歌とは?
連歌とは、和歌の韻律である上の句「五七五」と下の句「七七」を複数の人で交互に詠み合う形態の歌です。
連歌は、短歌や俳句と違い、複数の人が同じ場所に集い同じ場所で詠み合う言葉遊びに属するため、当初の頃は「座の文芸」と呼ばれていました。
連歌は娯楽の一つと考えられますが、付合(つけあい)という暗黙の了解として一種のルールが存在し、知識や教養だけではなくセンスも必要とする歌です。
連歌の起源とは
連歌の起源は、7~8世紀頃に編纂された最古の歌集とされる「万葉集」です。「万葉集」の巻八に収録されている大伴家持(おおとものやかもち)と尼との作品が、史実上初めて連歌として登場しています。一人が詠んだ詩歌に、別の人が詩歌を贈答する形で連歌は始まりました。
変化を楽しむ連歌の種類
連歌は、時代の流れと共に形を変えて楽しまれてきましたが、明治時代になってからは最初に詠まれた発句のみが生き残り、俳句として現代に受け継がれています。
連歌の種類を、歴史の順を追って見てみましょう。
- 短連歌(たんれんが)
- 長連歌(ちょうれんが)
室町時代には、百韻を十作品まとめて「千句」、千句を十作品まとめて「万句」の作品も現れました。
- 俳諧の連歌(はいかいのれんが)
- 歌仙連歌
- 俳句
現代では連歌の魅力が見直され、知らない人同士ネット上で連歌を行っている人が増えています。
連歌は戦国武将にも愛された?
戦国武将たちは教養も必要で、戦火の合間に美術品の収集や茶の湯をたしなんでいたことは周知の通りですが、実はその中には連歌も含まれていました。
戦国武士たちはどのような形で連歌に親しんでいたのでしょうか?
連歌は武士のストレス発散としても歌われた
連歌会は、戦火に明け暮れた武将たちにとって、ひと時のリラックスできるストレス解消法だったと考えられます。武士たちは、会場に好みのお香を焚き、格式高く落ち着いた雰囲気の中で連歌会を行うのが一般的でした。
また、連歌を詠むときはインスピレーションを働かせます。つまり、連歌に集中することはインスピレーションを活性化させることにもなるので、政略を練る能力を身に付ける効果につながった可能性も考えられます。
プロの連歌師が存在し、情報収集の手段に利用
連歌が一般的になると、プロの連歌師が現れます。それと同時に戦国大名が開催する連歌会に、プロの連歌師が呼ばれるようになりました。プロの連歌師は大名たちの屋敷へ出入りしていたので、情報源として重宝されました。中には大名家のお抱え連歌師もおり、他家への使者としての役目を担っていた連歌師もいたようです。
連歌のルール・作り方を紹介!
連歌の作り方のルールは、前の句と関連したものを詠むことです。例をあげると「夜空から星」「星から月」「月から十五夜」という具合です。
連歌を深く楽しむためには、まず付合(つけあい)の概念を理解します。付合とは、分かりやすく言うとお互いに関連性を持って歌を詠み合うことで、直前に詠まれた句の情景や句境(句作者の心境)などの内容を踏まえて次の句を詠みます。また、次の句を詠むときは、さらに次の新しい句へ繋がりやすいようにする配慮が重要で、そのために前句に関連した内容を詠みつつも、自分の句に新たな感性を加えて次へバトンタッチします。
また、前々に詠まれた句を打越(うちこし)といいますが、打越と同じ表現や情景を用いないようにします。連歌は句に関わった人の連携が重要で、一体感を持った句であることが重視され、かつ評価もされます。全体的に同じような内容で調和し過ぎる場合は平坦な作風になりますので、全体的に変化のある展開が求められます。
連歌の例
- 明智光秀作「ときは今あめが下しる五月かな」(ときはいま あめがしたしる さつきかな)
- 伊達政宗作「七種を一葉によせてつむ根芹」(ななくさを ひとはによせて つむねぜり)
連歌と俳句の違いは?
萌え袖ちゃん
連歌と俳句の違いを対比してお知らせしますね。
連歌 | 俳句 |
和歌から派生した形式「五七五」と「七七」からなる句 | 連歌から派生した形式「五七五」からなる句 |
多くの人数で交互に詠み協力して作る作品(集合体) | 一人の作品(個人) |
庶民的で風刺がきいた作品 | 芸術性の高い作品 |
前句に関連した句を作るルール | 季語を必ず入れるルール |
連歌の意味のまとめ
- 連歌とは、和歌の上の句「五七五」と下の句「七七」を複数の人で交互に詠み合う形態の歌。
- 連歌は、戦国武将のストレス解消のゲーム。
- 連歌のルールは、前の句と関連した句を次に読むこと。